令和の歴史的意味 〜前編〜 歴史4.0
おはようございます。
今日はサークルの一個下の
天使と言われる子が誕生日なので、
令和の誕生の秘話について書こうとと思います。
そのまえに、
本田圭佑が、
REDchairでいいことを言っていました。
ちょっと言葉を変えていうと、
人生の100年なんて、
今まで歩まれてきた先人の歴史や宇宙に比べたらたかが知れてる。
だから、やりたいことをもっとやらなきゃいけない。
それで、努力は報われるときもそうでないときもある。
でも必ず、努力した者は、成功のまえに、
成長している。
成功に目を奪われがち、成長したあとに成功するのだと。
成長ありきの成功だと言ってますね。
これって、やっぱり、
人としてどんな存在でありたいか、ではないでしょうか?
←努力逆転の法則という面白い法則が、
ありますので、いずれ書き留めます。笑
さて、元号は、
例年は、中国の書記などから取られてつけられたそうですが、
今回は、日本古典の最古の万葉集のとある
和歌から名付けられました。
僕がリサーチをよくかけてる
叡智な人のブログの言葉を借ります
その歌は、
[時、初春の令月にして、氣淑く風和ぎ、
梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す]
これは、梅花の歌三十二首で大友旅人か読んだもの。
この梅花の宴は、福岡県の太宰府の
[坂本八幡宮]で催されました。
このお寺で祭られる神は、
仏教です。
最上界の仏の一段階、下の菩薩です。
これは、古事記や日本書記、、、、、
には出てこなくて、3世紀ごろに出現した神だそうです。
皇祖神として位置づけられ、
につぐ皇室の守護神とされています。
前回のブログで、神仏習合したら、
神懸かりてきな力を発揮する
と書きましたが、
徳川一族のことですね。
この先の時代は、非常に力強い時代になるとこの人は歴史的に言っています。
そのためにも、降りかかる困難や災難に遭遇するでしょう。とも言っている。
現にもう起きてしまっていますが、、、、、
さて、この後編は、僕の誕生日の時にかこうとおもいます。笑