毘沙門天についての断章 歴史3.0

こんにちは。

今日でブログを始めて2ヶ月が経ちます。

それで、4月の中旬から下旬にかけて

毎日更新しようと思いやってきましたが、

ようやく1ヶ月が経ちました。

そのノリで、どうせなら

ちょうど2ヶ月分かいてしまおうとしました。

(誤魔化してないよ!)

今日で61記事にしようとブログを今日は

更新しています。

 

さて、毘沙門天は、仏教の神の四天の1人として

 

善国寺や他にもたてまつられております。

 

 

善国寺は神楽坂にあったのです。

大学の近くのすぐそこです。

 

多聞の神様です。

 

故に、上杉謙信毘沙門天の制裁として、

 

戦国時代、戦い抜き、英傑の武将として、

 

その名を歴史に刻みました。

 

謙信は、もともと、一族の殺生の罪を

償う運命にあり、

 

その時代に出家させられますが、

武士として不適格な長男の代わりに

 

僧から、武将に戻されました。

 

そして、自分の不遇を嘆くのです。

 

それ故、謙信は、異質な武士であったのです。

 

っていうのも、

僧であったが故に、戦の際に常に

 

仏罰や、毘沙門天の制裁

として旗を掲げ、神懸かりの力がありました。

 

戦国時代に生まれ、人を殺さなければならない自分の運命と境遇に嘆き、

 

やらねばならなかったのです。

 

これは、モンゴルのチンギスハンと似ていて、

 

 

彼は、

[お前は神に逆らった。神の声を聞かなかった

だから、死なねばならぬ。]

 

神、天の代わりに我が制裁を下す。

 

という英傑な人であったのです。

 

2人はよう似てます。笑

 

 

要するに、自分の天命に従って、

 

人事を尽くした武将なのです。

 

故に英傑、歴史に戦国武将として、

名を刻んだのです。

 

そして、私は、この毘沙門天上杉謙信が、

 

歴史上で、もっとも好きな神、人物であり、

憧れる偉大な方であったのです。